ヒノム 2つの灯台へ行く

ヒノムくんの日常ブログ

おいしい建築研究所 研究員&観光係のヒノムです。

以前、所長と一緒に京都府宮津市へ出張した際に丹後半島の経ケ岬灯台を訪問しました。所長の趣味に付き合っただけで、僕自身は灯台に全く関心はなかったのですが、最近↓の小説を読んで灯台への興味が湧いてきました。

板橋の商店街にある中華そば屋の店主が、亡くなった妻宛の古いハガキを見つけ、そこに記されていた灯台の地図を手掛かりに妻の知られざる過去を追って全国の灯台を巡る旅に出るというお話。

これを読んでから僕も「灯台へ行ってみたい」と思うようになりました。所長がさりげなく僕の目に触れるようにこの本を置いておいたような気もするのですが、まんまと乗せらたふりをして僕も灯台巡りの旅に出かけることにしました。

潮岬灯台

和歌山県那智勝浦町で建設中の「紀州サンウッド倉庫」を訪問する前日に2つの灯台を見に行きました。
1つ目は本州最南端に建つ潮岬灯台です。

潮岬灯台は、江戸幕府が英、仏、蘭、米の4か国と慶応2年(1866年)に締結した江戸条約で建設が決められた8灯台の内の1つで明治6年9月に設置点灯されました。海面からの高さは49mで光達距離19海里(約35km)。熊野灘の沖合を通る船の安全を守っています。

潮岬灯台

螺旋階段を登り切った最後の鉄骨階段↑がきつかった!

潮岬灯台からの眺め

灯台の上から見るとこの辺りは岩礁だらけ。日本にやってきた英、仏、蘭、米の人たちが、ここに灯台を造れと幕府に要望した意味がわかりますね。

樫野崎灯台

♪ここは串本、向いは大島 
 仲をとりもつ巡航船
 アラ ヨイショ ヨイショ ヨイショ
 ヨイショ ヨイショ♪

串本節に登場する紀伊大島は、串本町の沖合に浮かぶ島で、くしもと大橋で結ばれています。樫野崎灯台はこの島の東端にあり、潮岬灯台と同様に江戸条約によってつくられた8つの灯台の内の1つです。「日本の灯台の父」と言われるリチャード・ヘンリー・ブラントン(英)が、わが国で初めて手掛けた石造りの洋式灯台で明治3年(1870年)6月10日に点灯されました。海面からの高さは約47m、光達距離18.5海里(約34km)。
灯台の内部には入れませんが、灯台隣接の螺旋階段を昇ると雄大な熊野灘を一望できます。

樫野崎灯台
樫野崎灯台からの眺め
トルコ軍艦遭難慰霊碑

1890年に樫野崎の沖合でトルコ軍艦エルトゥールル号が嵐のために遭難し、乗組員の多くが命を落としたという事で慰霊碑が建てられています。トルコが親日国なのは、この時生き残った乗組員たちを日本人が手厚く保護した事に対する感謝の気持ちを今も忘れていないからなんだとか。134年も前の話でその時の状況を知っている人なんてもう誰もいないのに、ずっと語り継がれて来ているのは素晴らしい事だと思います。

今回は、潮岬灯台と樫野崎灯台の2か所を訪問しました。小説「灯台からの響き」の中で灯台巡りをする主人公が「灯台は少し離れて眺めるのがいい」と言うのですが、僕も何となくその気持ちがわかる気がしました。もちろん近くまで行って100年以上の歴史ある壁に触れ、可能ならば登って光が照らす先の景色を見たいと思いますが、断崖絶壁の際に建つ白い塔を少し離れた場所から風景として眺める! これが良いなぁと思いました。

潮岬灯台遠望

「灯台からの響き」の主人公は、夕暮れで灯台が点灯する頃に訪れるのが良いと言うのですが、確かにその時間までここにいられたら良いのですけどねぇ。明日は大事なお仕事がありますから「またいつか」という事で串本をあとにしました。

那智勝浦での仕事を終えて、鳥羽から伊良湖岬までフェリーで渡ります。17:40出港だったので、船上で陽が沈むことになるでしょう。夕暮れの灯台を見る事ができるかもと思ってワクワクしながら乗船しました。

伊良湖岬へ向かう伊勢湾フェリーの後部デッキから鳥羽方面を見たところですが、遠くに菅島灯台の光が見えます。わかりますか?答えは↓

灯台の光源には巨大なフレネルレンズが取付けられていて○十万カンデラなんて強い光を海に向けて発しているのですが、洋上から見る灯台の光は夜空に見る三等星か四等星くらいにしか見えませんでした。でもこの小さな光が真っ暗な海を渡る船乗りにとっては、とても重要な目標物であり「安心」を与えてくれる源なのです。GPSの発達により灯台の役目が終わるような話を聞きましたが、どんなに技術が発展しても最終的に判断するのは人間なのだから、これを無くしてはいけないように思います。