八ヶ岳南麓へ

ヒノムくんの日常ブログ

おいしい建築研究所 研究員&観光係のヒノムです。

以前、山梨県北杜市白州町の分譲開発の事をブログに書きました。先日、その現場へ陽のまど部材をお届けしましたので、その時の様子と帰りに立ち寄った場所のお話をしたいと思います。

青トラ訪問記18 長野県 原村・四季の森の家 | サンシャイン・ラボ

青トラで早朝に浜松を出発し、午前9時半頃に現場に到着しました。
この日は快晴の青空が広がっていて、八ヶ岳や南アルプス、富士山が綺麗に見えて、とても気持ちが良かったです。

「CHIME白州」1棟目の建て方が行われています。本当は陽のまど部材の運搬を運送会社にお願いしていたのですが、納品日の直前になって現場周辺の道路事情を理由に配送を断られてしまったので、仕方なく青トラで運んできました。実際に来てみると「4t車でも十分に入れるだろ」という状況だったので、何故断られたのか理解できませんでしたが、まあ良いお天気、良い景色の中をドライブする機会を与えてくれたことには感謝です。
陽のまどの施工は次週に行われる予定なので、改めて施工指導に来ることになりますが、とりあえず無事に納品出来て安堵しました。

大井ヶ森の家に立ち寄る

CHIME白州の現場のあと、昨年12月に施工指導を行った大井ヶ森の家のその後を見たくて立ち寄りました。

青トラ訪問記15 山梨県・大井ヶ森の家 | サンシャイン・ラボ

残念ながら現場には誰も居なかったので外から見せていただいただけですが、リゾート地らしい雰囲気に仕上がっていました。施工指導の際は雪が舞う中、7.5寸勾配という急な屋根の上で集熱パネルの設置作業をしましたが、その時の大変さも、こうして完成した姿を見れば良い思い出です。

新府城に立ち寄る

帰路は、のんびりドライブしながら浜松を目指すことにしました。
大井ヶ森の家から韮崎に向かって移動します。このルートは正面に富士山、後ろに八ヶ岳となかなかの絶景ドライブコースです。と、その時「新府城跡」の石碑が目に入りました。
新府城は、武田勝頼が築いた城で、それまでの武田家の本拠は甲府の躑躅ケ崎館でしたが、新しい府中をつくりたいという思いから、この地に移転を計画しました。しかし1582年に織田・徳川連合軍に攻められて、入城から僅か68日で勝頼自らが火を放って廃城にし、その後に家臣の裏切りにあい、天目山に追い詰められて武田一族は滅亡します。
新府城が韮崎にあることは知っていたものの、いつも中央道を通っていたので、わざわざ立ち寄る事はありませんでしたが、この石碑を見たら「行くしかない!」という事で、少しハイキングをする事にしました。

いきなり↑この急な石段です。最近このパターンが多いように思いますが、行くと決めたからには、頑張って登りましょう!何段あるのか数え忘れましたが、登り切った先には、武田勝頼公をお祀りする「藤武神社」がありました。

藤武神社拝殿

新府城の本丸跡です。ここには勝頼公が住まう御殿があったようですが、引越してすぐに棄てられてしまったとの事で、その後の武田一族の運命と重ね合わせてみると、何とも悲しい気分になります。
でも本丸から見える八ヶ岳は「きっと勝頼公もこの景色がお気に入りだったのではないかな?」と思えるくらい素晴らしいものでした。

新府城本丸からの八ヶ岳

新府城周辺は「新府桃源郷」と呼ばれていて4月初~中旬には↓のような美しい桃色の景色が見られるそうです。

韮崎市観光協会HPより

残念ながら訪れた時期が遅かったようで桃の花は残り少なくなっていました。そんな中で新しく植えられた苗木でしょうか?幹にお守りのような3つの鈴が付けられていて、風で揺れる度にいい音を響かせていました。こういう小さな発見が「すごくいいなぁ」と思う今日この頃なのです。また近日に来ることになりますが、今度は何に出会えるのかな? とても楽しみです。