夏至を過ぎて思うこと

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合同会社サンシャイン・ラボ 代表の松原です。

昼間の時間が一年で最も長い日「夏至」を過ぎました。写真は、数年前に訪れた和歌山県の雑賀岬灯台です。ここには「夕日を楽しむ展望広場」があって、四国から淡路島、和歌山湾の島々を一望することができます。「夕日を楽しむ」とあるように、西に向かって展望が開けているので、海に沈む美しい夕日が見られます。この広場には、冬至、春秋分の日、夏至の太陽が沈む方角が表示されていました。

太陽は東から昇って西に沈む。それは当然の事ですが、季節によってこんなに日没の位置が違うという事を知っている人ってどれくらいいるのでしょうね?
農業や漁業といった自然を相手にする仕事をされている人にとって太陽の動きは、とても重要な事かと思いますが、オフィスでデスクワークしかしていない人にとっては、今日が夏至でも冬至でも、どちらでもいい事かもしれません。でもこの太陽の動きが私たちが地球という星に住むための必須条件になっている事を忘れてはいけないでしょう。

上図は、北緯35度における夏至の太陽位置を示したものですが、日の出と日の入は、東西軸よりも北から昇り、沈みます。また太陽がピークを迎える南中時(お昼12時)の太陽入射角度は、仰角78度くらいの高い位置から降り注いできます。冬至の入射角は30度くらいですから、夏至の太陽がいかに高い所にあるかわかりますね。

自然と応答する建築

このような太陽の動きを建築の設計や施工に関わる人は、しっかり理解している必要があると思います。本来の「建物(家)」の役割は、洞窟で暮らしていた時代から現代まで変わらず、自然の力からそこに住まう人の命と財産を守るためのものだったはずです。その土地の太陽や雨、風、土の状況をしっかり理解して、自然や外敵の驚異から身を守れるようにすることが、家づくりの最大の目的だったと思うのですが、現在の家を見ていると、あまり自然の存在を意識しているようには感じません。自然を無視した自分勝手な建物をつくっても、最後は設備が何とかしてくれると考えている設計者が多いのではないでしょうか。私の所には「この建物に陽のまどを導入したいのだけど…」という相談が図面と共に寄せられますが「太陽の事を理解している」と感じられる設計は少ないです。

我々日本人には、南向きを良しとする感覚が昔からありますが、最近はそれが若干薄れてきているように感じます。南に大きな開口を設ける事で、陽の光を入れて、室内を明るくしたり、暖を採ったりしてきましたが、最近の住宅は太陽の代わりを設備機器がやってくれるので、建物の方位なんてどちら向きでもいいと考えている傾向があるようです。先日送られてきた図面は、太陽を利用したいと言う割に屋根は北向きに下る勾配で、南側壁面に日射を取り入れる窓がほとんど無いというプランでした。軒の出や庇も無くて、日射を調節する術を持たないので、自然と対話することが出来ない建物になっていました。
屋根の勾配に関しても、緩い片流れ屋根で計画されている家は多いですね。1寸(5.71°)~2寸(11.31°)勾配くらいのフラットに近い屋根形状の建物は、街中でもよく見かけます。

これらは太陽光発電を載せやすいからこういう形にしているものと推察しますが、夏場の太陽を屋根全面で受けることになるので、余程屋根の断熱がしっかりしていないと室内が熱くなりやすい形です。逆に太陽高度が低い冬場は、日射取得に不利な形なので室温が上がり難くいです。つまり建物の形一つで住み心地が大きく左右されるという事。こういう理屈を設計者は知っているのか、知らないのかはわかりませんが、空調設備による力業を使えば自然との応答なんて関係ないという事なのでしょう。このような建物に「陽のまど」を導入しても、お日様と対話が出来ないので計画の見直しをお願いする事になるのですが、まあ設計を変更してまで「陽のまど」をやろうという話には、まずならないです。デザインは好みですから自由にすれば良いですが、自然に抗ってまで押し通す程のデザインかどうかは、私にはわかりません。

最近の住宅は、性能値を高めるために開口を小さくしているものが多いように思われ「太陽は室温を上昇させる悪い奴!」という位置づけなのかもしれません。自然との応答を排除して、性能値だけを追い求めて行くと潜水艦のような家になってしまう。それは人の住む場所として正しい在り方なのでしょうか?
私は何事もバランスが大切で、その塩梅を決めるのは設計者の経験的な判断によると思います。以前からお伝えしているように建築の住み心地は、料理の味付けと同じ。料理人が味音痴だったら美味しい料理はできません。
建築も数値と設備に依存するだけでは、おいしい建築にはならないと思うのです。人間が人間らしく暮らせる場所をつくりたいのであれば、自然の力を受け入れつつ、時には抵抗しながらバランスよく共存していける仕組みを持った家をつくるべきと思うのです。