おいしい建築研究所 研究員&観光係のヒノムです。
今回は福島県郡山市の現場へ陽のまどの施工指導に行ってきました。現場の様子については所長が書いてるブログを見て下さいね。↓
青トラ訪問記-28 福島県・郡山の家 | サンシャイン・ラボ
想定よりもかなりスムーズに作業が進んだので、午前中で施工完了となりました。
となると僕の出番です。
遥々郡山まで来て、このまま帰るというのも何なので、どこか見物しながら浜松へ帰ろうという事になりました。と、ここで一本の電話が入り、次の日に東京の設計事務所を訪問することになったので、今夜は東京泊です。会津とか行ってみたいなぁと思ったんですが、時間的に難しいので今回は諦めて、東北道沿線のどこかに立ち寄ってから東京に向かう事にしました。ナビの地図を眺めていたら「白河の関跡」の文字が目に留まりました。歴史上の重要な場面でよく聞く地名ですが、どんな所なのか行ったことがなかったので、この機会に訪れてみることにしました。


白河の関は、福島県白河市にあり、奈良時代から平安時代頃の国境の関所で、東山道の要衝に位置していました。当時は人や物資の往来を取り締まる重要な役目を果たしていた場所で、これより南は関東、北は「みちのく」です。
僕は歴史小説が好きで、東北地方を舞台にした作品をよく読んでいましたが、その中に白河の関は、度々登場しました。実際にこの地には歴史上の有名人物の伝説が数多く残されていて、源義経が奥州平泉から鎌倉へ駆けつける途中、白河の関で戦勝祈願をした話とか、義経のご先祖様、源義家(八幡太郎)が陸奥国守として赴任するため白河の関を通った際に詠んだ和歌の話。比較的新しいところでは、明治維新を巡る戊辰戦争の時、すぐ近くの白河小峰城で、新政府軍と奥羽越列藩同盟軍が激突する白河口の戦いがありました。もっと新しいところでは、2022年夏の高校野球全国大会で宮城の仙台育英高校が東北勢として初めて優勝した際に「白河の関を越えた」と表現された事がありましたね。昔の都びとからすると、この先は朝廷の力が届かない蝦夷の地、東北の人々にとっては、敵を迎え撃つための第一次防衛ラインだった訳ですが、車や新幹線で簡単に行き来できるようになった現代においても、この地の人々にとって「白河の関」は、いつまでも心の中にあるものなのだなぁと思いました。

白河の関は、関所が廃止されてから具体的な位置が分からなくなっていましたが、寛政12年(1800年)に白川藩主松平定信公が場所を特定し「古関蹟」の碑を建立しました。松平定信公は、老中として「寛政の改革」を断行した人物で、今年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃華夢噺~」にも登場してますね。


松平定信役・井上祐貴さん



ちょっと今回の訪問先は渋すぎたかな。
でも僕としては「白河の関」の場所と雰囲気を味わう事ができて大満足でした。
本当は戊辰戦争の激戦地であった小峰城や松平定信公がつくった南湖公園にも立ち寄りたかったのですが、時間がなくて残念。機会があればまた訪れたいと思います。