お袋の味=味覚の原点

味を究める

合同会社サンシャイン・ラボ 代表の松原です。

毎度言ってることですが、空気集熱式ソーラーに関わって30年。
このシステムを使用する意味をずっと考えてきました。
私自身は太陽熱を利用するこのシステムは何よりも素晴らしいと思っています。
ただその性能や効能を表現する方法が難しくて、単なる数値化では言い表せない、
もっと人間の感覚的な部分に訴えかけるものが必要だと思うのです。
例えば料理における「味」のようなものでしょうか。

お袋の味を覚えてますか?

人は生まれてしばらくはお母さんの母乳で育ちます。その後、離乳食に移り、
やがてお母さんが作ってくれるご飯を食べて成長します。
つまりその人の味覚は、お母さんがつくるご飯の味(お袋の味)によって
形成されていくと言えるでしょう。人間は比較により判断する生き物なので、
長年食べてきたお袋の味と比べて、これは美味いとか、不味いとか評価します。
子供時代は経験値がお袋の味と給食くらいしかないですが、大人になると色々な
味を体験するので判断基準が広がります。社会人になって初めて訪れた高級料亭で
出された味噌汁の味に感動!「これまでお袋の味噌汁が一番だと思っていたのに
こんな美味い味噌汁があったなんて・・・」と、それまでの価値観が大きく変わった
瞬間です。

育ってきた住環境による温熱感

人の温熱感も味覚と同じで育ってきた住環境によって育まれるものだと思います。
以前、ある工務店の社長さんが「お客さんに断熱の必要性を説明しても理解してくれない」と
嘆いていたことがありました。「壁の中の材料にお金をかけるくらいならキッチンのグレードを
上げたい」というご要望だそうです。断熱を必要としないという事は「冬は寒く、夏は暑いもの。
それが当たり前」という価値判断なのでしょうか。その人にとって、これまで育ってきた住環境が、
そのようなものであったならば、断熱が必要とは思わないでしょう。
このような人には「料亭の味」のような体験が必要です。断熱された建物の良さがわかれば
今までの住まいの過酷さ、大変さが理解できるはず。それは単に性能値による理解ではなく、
自分自身の体感による価値観のアップグレードが必要という事です。料理に当て嵌めるなら
ミシュランの星の数だとか、食べログの評価で判断するのではなく、自分自身の舌がその料理を
食べて美味いと感じるかどうかが重要という事です。
本当の味を知らないとおいしい料理をつくることや味を楽しむことができないように、
建築においても「快適」という本当の味を知ることが、絶対に必要なのです。

皆さんにとっての「お袋の味」は何ですか?
私にとってのお袋の味は「焼きおにぎり」かな。子供の頃の遠足や運動会は、いつもこれでした。
焼きおにぎりと言えば醤油をつけて焼いたおにぎりが一般的ですが、松原家の焼きおにぎりは、
塩むすびを素焼きの焙烙の上で焼いて焦げ目をつけただけのもので、おこげの香ばしい味だけで
何個でも食べられる超シンプルなものなのです。(たまに梅干しが入ります)
この味は今のところ私の母から嫁へと受け継がれているのですが、この先はどうなる事やら?
できれば子々孫々まで続いてくれるといいなと思います。

        松原家の焼きおにぎり