合同会社サンシャイン・ラボ 代表の松原です。
年始は順調にスタートが切れたように思っていましたが、ここに来て躓く場面が2度ほど続いたので、少々凹んでいました。「間違いなく大丈夫だろう」と思っていた仕事が、いきなりのキャンセル。「予算的に導入が難しくなった」との理由だそうですが、建築コスト全体が高騰する中で、大幅に減額できる対象として「陽のまど」は目につきやすいのでしょうね。こればかりは仕方がない事です。そんなモヤモヤする気分を晴らしたいと思い、静岡までドライブに出かけることにしました。
久能山東照宮へ
モヤモヤ気分がいっぱい溜まった金曜日。明日はどこか気分転換のできるところへ行こう!と思いながら寝ました。
次の朝、目が覚めてふと頭に浮かんだのが「久能山東照宮」。何故この場所なのかはわかりませんが、とにかく行ってみたいと思いました。
「久能山東照宮」は、徳川家康公を御祭神としておまつりする全国の東照宮の創祀です。家康公は生前、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧進せよ。八州の鎮守となろう」と遺言をされました。そして元和2年(1616年)4月17日(おっ!409年前の今日が命日なんだ!!)駿府城において75年の生涯を閉じられましたが、そのご遺体はご遺命に従って久能山に埋葬され、2代将軍秀忠公により久能山東照宮が創建されました。


久能山東照宮は、小学生の頃と20代の頃に参拝したことがあるのですが、どんな所で何をしたかは、全く記憶がありません。目覚めの思い付きでやってきましたが、30数年ぶりに訪れた久能山東照宮の社殿(国宝)は、とにかく煌びやかでした。
徳川家康公の御遺訓
美しい社殿に参拝した後は、その後方にある「神廟」を訪れました。ここは徳川家康公のご遺骸を埋葬したところです。西向きに建てられた宝塔は、家康公の生まれ故郷の岡崎を見ているとか、西国の豊臣家残党に対して睨みを利かせるためなどと言われています。


ここには有名な徳川家康公のご遺訓が掲げられていますが、この一文を読んでまさに人生は重い荷物を背負って遠き道を行くのと同じ。今の自分の心境と重ね合わせると妙に納得できました。
・不自由が当たり前と考えれば不満は生じない。
・心に欲が起きた時は、苦しかった時を思い出すことだ。
・我慢することが無事に長く安らかでいられる基礎であり、「怒り」は敵と思え。
・勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
・自分の行動について反省し、人を責めてはならない。
・足りない方が、やり過ぎてしまっているよりも優れている。
冒頭に述べたように少し凹んでいましたが、この御遺訓のように進んでいけば、いつか天下泰平の世がやって来る。何より「いそぐべからず」とありますから、焦って事を仕損じないように注意しながらやっていこうと思いました。

何故、朝起きて久能山東照宮へ行こうと思ったのかは、自分でもよくわからないのですが、徳川家康公のご遺訓が気持ちを落ち着かせるきっかけになったようなので、遥々やってきて良かったと思いました。