おいしい建築研究所 研究員&観光係のヒノムです。
前回は紀州サンウッド倉庫に泊まった話をしましたが、ホームセンターで寝袋を調達した後、ご飯を食べてお風呂に入りに行きました。那智勝浦周辺は日帰り温泉をやっているホテル、旅館がたくさんあるので選り取り見取りなんですが、所長と僕はJR那智駅に隣接する「丹敷(にしき)の湯」へ行きました。長距離ドライブの時は大きなお風呂に手足を伸ばしての入るのが、一番疲れを癒してくれます。あっ、僕は助手席なので疲れているのは所長ですけどね。
疲れた身体をお風呂で癒した後、「丹敷の湯(由来)」というのを読みました。
これによるとこの地が神武天皇東征の上陸地との事。神武天皇かぁ… そう言えば何年か前に出張で宮崎県を訪れた際に「神武天皇御舟出の地」という所へ行った事を思い出しました。古事記とか日本書紀って最初の方しか読んでいないので、神武天皇東征神話ってよく知らないのですが、この辺りに上陸して大和へ向かったという事なんですね。
出発の地と上陸の地が、自分の中でつながった事がちょっと嬉しかったです。
この地における神武天皇の足跡についてネットで調べてみると色々と面白そうな史跡があるようです。
紀州サンウッド倉庫で一泊した後、浜松へ帰る途中で寄ってみる事にしました。
神倉神社(和歌山県新宮市)
神倉神社は、熊野三山(速玉大社、本宮大社、那智大社)の一つ熊野速玉大社の摂社で神武天皇が東征の途上で登った「天磐盾(あめのいわたて)」の山と言われています。このとき、天照大神の子孫の高倉下命は、神武に神剣を奉げ、これを得た神武は、天照大神が遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、熊野・大和を制圧したのだとか。
そんな謂れがある事だけ予備知識として調べてから神倉神社へ行ってみました。
写真では、なかなか迫力が伝わりませんが、鳥居の前に立った時「これはボルダリングか?」と思いました。
登るのをためらう程の急な石段ですが、お爺ちゃん、お婆ちゃんの参拝者がどんどん登って行くので「負けてはおれん!」と気持ちを奮い立たせて頑張りました。
蹴上と踏面がバラバラ、勾配も恐ろしく急なので、お城の石垣を登るような感じです。
この石段は鎌倉時代につくられたのだそうですが、538段もあるのだとか。この石段がなかったはるか昔に神武天皇はどうやって「天磐盾」に登ったのだろう?
ご神体の「ゴトビキ岩」とそれに寄り添う社殿。ご神体に触れてパワーを得ようとしている人もいました。
社殿の所まで来ると目の前には新宮の街と熊野灘の景色が広がります。頑張って登ってきたご褒美といった感じですね。でも帰りの石段の方が登りよりずっと怖いのです。(涙)
神倉神社を参拝して車に戻ったら足がガクガクでした。これから浜松まで帰れるかしら…
でもなかなか面白い経験が出来て良かったです。正月休みに「古事記」を読んでみようかなと思っています。