合同会社サンシャイン・ラボ 代表の松原です。
OMソーラー時代の私は「集熱パネル」というものに対して、どちらかと言うと否定的でした。集熱性能、集熱効率、施工性の面では、現場施工の集熱面よりも集熱パネルの方が明らかに優れていましたが、当時の集熱パネルは、太陽熱温水器の筐体を利用して空気集熱式ソーラー用集熱パネルにアレンジされたものだったので、建築の屋根に成り切らない部分があって、防雨性やメンテナンス性に大きな課題を持っていました。建築的な判断からすると集熱パネルを使うよりも現場施工集熱面の方が安全だというのが、当時の私の考えでした。
アメリカで集熱を考える
集熱パネル否定派の私に集熱パネルの事を真剣に考えさせたのは、アメリカに赴任した時でした。2001年から2年ほどUS事務所勤務となった私は、彼の地でOMソーラーハウスをつくらなければならなくなりました。最初の1棟目はカリフォルニア州デービス市の住宅でしたが、OMソーラーの集熱面に必要な金属屋根材料がありません。日本では当たり前の屋根材ですが、アメリカの住宅では使われないので、材料も無ければ、これを葺く職人もいないという状況でした。「ところ変われば品変わる」です。日本の常識は世界では通用しないという事を痛感させられました。でも金属屋根が無いとOMソーラーが実現できないので、あちらこちらを探し回って折板屋根を見つけ、これを用いて集熱面をつくることにしました。


金属屋根を葺く職人がいないので、スレート屋に施工を依頼したのですが、やって来たのは、みんなメキシコ人で英語がわからないとの事。こちらもスペイン語は「グラシアス」ぐらいしかわかりませんから、ボディーランゲージで何とか作業内容を伝えて完成に導きました。
これがアメリカ1棟目のOMソーラーハウスでしたが、日本より遥かに広いこの国で、こんな施工方法が通じるわけがない。そこで着目したのが集熱パネルです。アメリカにも太陽熱温水器のメーカーはたくさんあったので、空気集熱式ソーラー用集熱パネルをつくってくれる会社を探すことにしました。
SUN EARTHとの出会い
2001年に首都ワシントンD.C.で開催されたソーラーショーにOMソーラーも出展しました。この時、一人の若いエンジニアが我々のブースにやってきて空気集熱式ソーラーについて質問してきました。彼は大学時代に空気集熱式ソーラーを研究していたそうで、OMソーラーに強い関心を示してくれたのです。彼はハワイにあるSUN EARTHという太陽熱温水器メーカーの技術者で、カリフォルニアで技術営業をしているとの事でした。


アメリカ1棟目の施工を終えて、集熱面の在り方について1から考え直すことになった時に、ふとSUN EARTHの彼のことが頭に浮かびました。彼の会社の太陽熱温水器の筐体をベースに空気集熱式ソーラー用集熱パネルをつくってもらう事ができないか相談してみる事にしました。幸い彼は我々の事務所から車で1時間くらいの所に住んでいたので、2つ返事でやってきてくれました。我々の希望を伝えた後、しばらくして彼らのソーラーコレクターをベースにした空気集熱式ソーラー用集熱パネルを提案してくれたのです。

1棟目のデービスの家では、日本と同じように屋根に一体化させる形で集熱面をつくりましたが、それが困難という事がわかったので、2棟目では建築と切り離した形で設置できるSUN EARTH製集熱パネルを採用しました。残念ながらこの家の施工時には日本に帰国させられていたので、直接立ち会う事はできませんでしたが、下の写真のように納まっています。


南米でも集熱を考える
私のアメリカ赴任中に南米のチリでOMをやりたいという話が舞い込んできました。日本のOMソーラーに届いた問い合わせでしたが「日本から行くよりアメリカから行く方が近いだろう」という事で対応する事になったのですが、アメリカからだってかなり遠いです。現地の情報を色々と聞いてみると技術的な条件は、アメリカ国内よりも更に厳しいらしい。アメリカで作った太陽熱温水器をベースにした集熱パネルと同じような事をチリでも出来ないか調べてもらったところ、チリでは難しいが、ブラジルでならば可能性があるとの事でした。そこでブラジルの対応可能な太陽熱温水器メーカーを訪ねることにしました。
我々の事務所があったカリフォルニア州サンフランシスコからブラジル・サンパウロまでは、空路で約20時間。(全然遠いです。)そして目的の太陽熱温水器メーカー「SOLETROL社」までは車で3時間かかりました。我々の計画を説明し、協力をお願いしたところ、集熱パネルの試作をしてくれる事になったので、1か月後に再度訪問する約束をしました。



SOLETROL製集熱パネルの試作品を現地の実験サイトで評価しました。ダクトとファンをつなぐ作業は現在もやってますが、「何でブラジルまで来てこんな事やってるんだろう?」と思いましたね。まあブラジルの田舎の風景が美しかったこととシュラスコ料理が美味しかったことが、良い思い出です。
残念ながらチリのプロジェクトは、現地の開発業者側の都合により流れてしまったので、この集熱パネルが日の目を見ることはありませんでしたが、アメリカとブラジルで嫌と言う程考えさせられた集熱パネルについて、その8年後に日本で復活する事になるという事を この時点ではまだ自分自身も知りませんでした。(つづく)

