2つの凱旋門

ヒノムくんの日常ブログ

おいしい建築研究所 研究員&観光係のヒノムです。

4月初旬に所長と一緒に南九州へ出張しました。所長がブログに書いていましたが、今回は高速道路を使わないで行こう!という無謀なテーマを掲げて浜松を出発しました。浜松から大阪のさんふらわあフェリーターミナルまで約300km。浜松から国道1号→国道23号で三重県亀山へ。そこから名阪国道を奈良県天理まで走り、奈良公園の鹿たちに挨拶しながら生駒山を越えて大阪に至りました。九州でも鹿児島→宮崎→大分と下道を走りましたが、今回はその途中で立ち寄った場所についてお話しようと思います。

エトワール凱旋門

さてタイトルの「凱旋門」ですが、一般に凱旋門と言えばパリの「エトワール凱旋門」が有名ですね。
凱旋門とは、軍事的勝利を讃えて、その勝利をもたらした将軍や国家元首、軍隊の凱旋式を行うためにつくられた門で、発祥は古代ローマ時代にまで遡るそうです。これらはヨーロッパにだけあるものと思っていましたが、なんと日本にも「凱旋門」がある事を最近知りました。たまたま浜松市の浜名湖北部の地図を見ていた時に渋川という地区に「凱旋紀念門」という名称を見つけ、「これは何だろう?」と思って、次の休みに所長と出かけてみました。

渋川・凱旋紀念門(静岡県浜松市)

渋川は浜松市中心部から車で約1時間ほど山間に入った静かな集落です。ここに「凱旋紀念門」はありました。国の登録有形文化財に指定されています。案内板によると明治39年(1906年)に建造されたもので、当時のこの周辺は鎮玉村と呼ばれていたようですが、この地から日露戦争に従軍した人々の凱旋を祝うために作られたものだそうです。
門の柱脚部には、日清戦争、日露戦争の出征兵士の氏名、戦没者、病没者の氏名が刻まれていました。

これをきっかけに凱旋門について興味が湧いて調べてみたところ、日清、日露戦争後に全国各地に凱旋門が建てられたのだそうです。東京の日比谷公園や新橋、新宿、浅草、万世橋などにフランスのエトワール凱旋門を意識した大型の門が数多くつくられたとの事でした。その流れが地方にも広まって、こんな山の中ですが「凱旋紀念門」がつくられたという訳です。東京などにつくられた巨大凱旋門は、あくまで仮設だったので、ほとんどが取り壊されたそうですが、ここ渋川以外にも残っている凱旋門が九州・鹿児島にあることを知りました。

山田の凱旋門(鹿児島県姶良市)

鹿児島県日置市の尾堂産業さんを訪問した次の日に宮崎県都城市の松元建設さんへ向かう道中で「山田の凱旋門」という道路標識を見つけました。「これって現存するもう一つの凱旋門じゃない?」という事で立ち寄ってみる事にしました。

この凱旋門も明治39年に当時の山田村から日露戦争に従軍した人たちの無事の帰還を記念して建てられたものだそうです。渋川はレンガ造でしたが、こちらは石造で鹿児島が誇るアーチ式の石橋技術を応用して造られています。
門をくぐって、奥の階段を昇ると山田の集落とその向こうに桜島が見えました。

長く続いた武士の時代が終わり、明治に入って急速に欧米の技術を取り入れて国際社会に名乗りをあげた日本が、開国からわずか40年足らずで2度の世界を相手にした戦争に勝利したのですから、国民全員が歓喜したことは想像できます。現代ではオリンピックやサッカー、野球などで日本代表の活躍に我々は歓喜しますが、120年前は自国の存亡をかけた命のやり取りの末の勝利を讃えるためだった訳ですから歓喜のレベルが違ったでしょう。
スポーツの応援で日本の勝利をお祝いする事は何度あっても良いですが、戦争だけは勝っても、負けても辛いだけですから、絶対に有ってはならない事だと思います。