釈迦堂遺跡博物館

ヒノムくんの日常ブログ

おいしい建築研究所 研究員のヒノムです。

今日は久しぶりに縄文ネタです。
先日、山梨県北杜市のCHIME白州の現場へ陽のまど部材をお届けしました。そちらについては所長が「青トラ訪問記」で報告してますので↓を見て下さい。

青トラ訪問記-53 CHIME白州4 – サンシャイン・ラボ

無事にお届けした後、次の目的地が富士山方面だったので、前から行ってみたいと思っていた釈迦堂遺跡博物館(山梨県笛吹市一宮町)に立ち寄る事にしました。

釈迦堂遺跡博物館

釈迦堂遺跡は、1980年に中央自動車道建設工事に先立って、延べ2万人が参加して発掘調査が行われました。発掘調査区域を見ると遺跡は、もろに中央道の真下に位置していますね。

この遺跡からは縄文時代だけではなくて、旧石器時代や古墳時代、奈良時代、平安時代の住居や墓などの遺構、遺物が発見されています。

釈迦堂遺跡博物館 常設展示室
土偶と土器

釈迦堂遺跡からは1000点を越える土偶が出土しています。それらはこれまでに見てきた尖石遺跡の国宝土偶や鋳物師屋遺跡のラヴィちゃんのような全身がしっかり残っているものではなく、頭も胴も手足もバラバラな状態なものでしたが、一点一点をじっくり見ていると何とも味わい深いものがあります。「この顔、うちの近所のうどん屋の店員さんに似てるなぁ」などと楽しく想像しながら、ついつい時間を忘れて見入ってしまいました。

土器も見応えがありました。「土器の森」という縄文時代早期から中期に向かって土器の製造技術やデザインの進化を見ることができるコーナーがあって、ライトアップされた土器たちがとても幻想的でした。

土器の森
土器の森
縄文時代早期の土器
有孔鍔付土器
蛇文様土器
水煙文土器

水煙文土器は、水煙を思わせる、緩やかで美しい曲線を用いて表現された土器で、山梨県の甲府盆地を中心とする地域で出土する縄文時代中期の土器です。すごく立体的で、何からこのようなデザインを発想したのだろう?などと考えながら鑑賞しました。以前、新潟県で出土した火焔型土器を東京国立博物館で見ましたが、その時も同じことを思ったんですよね。
縄文人! 凄いな!!

火焔型土器(東京国立博物館)
縄文人の食生活

縄文時代は当然のことですが、自然と密接に関わり、また自然に左右される生活だったと思います。その中で彼らは何を食べていたのか?出土した木の実や動物の骨などから釈迦堂遺跡に暮らした人々の食生活の一端をうかがい知ることができます。

現代のように冷蔵庫で保存するということは出来なかったので、その時期に採れるものを食べるということだったようですね。春・植物 → 夏・動物 → 秋・植物 → 冬・動物という食生活を繰り返すことで、自然との共存共栄が図られていたのだと思います。またエゴマやツルマメ、大豆などを栽培していた形跡なども発見されているそうで、自ら食料を確保する取り組みも行われていたようです。

釈迦堂遺跡は、今から16,000年前の縄文時代 草創期頃から人が住み始め、縄文時代 中期(5,500年前)に大いに栄えました。後期頃(4,500年前)から気候が寒冷化すると、この地域では集落の規模が小さくなって行き、晩期(3,300年前)には川沿いに移動して行ったとみられています。

縄文時代の遺跡に行って毎度思うことですが、1,000年とか、10,000年とか、時間のスケールが現代の比ではないんですよね。SDG’sとか、カッコいい事を言ってますが、現代社会が1,000年続くような気がしないのは、私だけではないと思います。世界や日本を動かしているリーダー達にも縄文時代を知る事で「真の持続可能な社会の実現」を考えるきっかけにして欲しいなと思います。